世界進出する内科医

公私ともに世界に出ていきたい内科医のブログ。飛行機のレポートから渡航医学まで海外進出に関連のある話題をつづります。

渡航医学まとめ 日本脳炎

日本脳炎は蚊で感染するウイルス性疾患で、かつては日本を中心とした東アジア~大洋州で多く見られましたが、現在日本では大幅に減っており、主に中国や東南アジア大洋州での発症が多くみられる病気です。海外渡航するにあたっては長期に滞在する場合、とくにワクチン接種が推奨される疾患です。

そして、とても大事なことですが、北海道出身の方は基本的に日本脳炎のワクチンは接種されていません。東南アジアに移住、また日本国内でも西日本に移住される場合は完全に一からの接種が必要です。

 

(サマリー)

現在日本で年間に発生する日本脳炎患者は10人以下ですが、東南アジアを中心に海外では年間数万人発生している疾患で、脳炎の後遺症が残ることもあります。日本では長らく学童期に接種すべき「定期接種」でしたが、2005年にマウス脳由来ワクチンの副反応として急性散在性脳脊髄炎(ADEM)の発生の可能性が指摘されたことから、厚生労働省は積極的に接種を推奨することを差し控えていた時期があります(積極的勧奨差し控え)。その影響で、2011年に新しいワクチンが発売されるまでの間、日本脳炎ワクチンは定期接種でありながら接種が滞ってしまいました。。2011年に乾燥細胞培養日本脳炎ワクチンが発売されたことを期に再度積極的勧奨も再開されましたが、推奨が差し控えられた6年間に接種漏れとなった世代が存在します。この世代を救済する目的で、20歳未満まで定期接種として安価に接種することが可能になるようする制度が整えられています。2012年11月に新しいワクチンでもADEMの発生の可能性があるのではないかと疑われましたが、学術的な因果関係は証明されなかったため、接種は継続されています。

 

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(疫学)

日本脳炎ウイルスはフラビウイルス科に属しており、数年前からアメリカで発症者がみられるウエストナイル脳炎の類縁ウイルスです。豚の体内でウイルスが増幅されることが知られており、豚を吸血したコガタアカイエカ(Culex mosquito)によって媒介され、最終感染動物(宿主)はヒトですので、人からさらにほかの動物への感染は起こりません。当然ヒトーヒト感染も起こりません。ほとんどが症状なく終わってしまいますが(不顕性感染)脳炎を発症するのは1%から0.1%と考えられています。1954年にマウス脳由来のワクチンが市販されたため、日本における日本脳炎患者は激減したという歴史的経緯があります。上述の通り2005年にADEMの副反応が疑われて一時接種が滞ったものの2011年からは新しい細胞培養ワクチンとして再び接種されています。地域的な分布としては九州・中国・四国地方の豚の感染率が高く、患者発生も西日本に偏っています。つまり、養豚が盛んで蚊が発生しやすい場所に患者が多いことになります。2005年以降は小児での発生例も増加傾向であり、同地域で2011年までに6例発生しています。

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国際的には東アジア、東南アジア、インド、ネパール、パキスタン、オーストラリア北部まで分布しています。東アジアでは日本、韓国、中国、台湾で予防接種が導入されており、患者数が減っている状況ですが、それ以外の国では増加傾向です。

日本人が観光でよく訪れる東南アジアが多く含まれるほか、中国大陸の沿岸部、グアムやサイパン、またケアンズなどオーストラリアも流行地域に含まれる点は注意が必要と思われます。

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(抗体保有状況)

2005年にADEM症例が予防接種健康被害救済制度の適応を受けて以来、接種の積極的勧奨が取りやめられました。その結果それ以前は80%以上の接種率であったものが、5%程度まで低下してしまいました。そのため、2005年以降に初回接種を迎えた世代に関しては抗体陽性率が極端に下がっており、2011年に国立感染症研究所が行った血清疫学調査では下のグラフのような状況になっています。中高年の陽性率は年とともに低下していく傾向が見られるのは、過去には抗体をもっていた人たちが年齢とともに徐々に免疫力が落ちてっているのを反映していると考えられています。完全に免疫を持たない感受性者は全人口の20%程度に達すると予測されています。また、この30年以上日本において大規模な日本脳炎の流行は報告されていないことを考えると、20歳程度を境に抗体価が低下するのは日本脳炎ウイルスに暴露されないことによる免疫の低下が原因であると考えられます。

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(マウス脳由来ワクチン)

日本脳炎ウイルスの中山株をマウスの脳内に接種し、ウイルスを増殖させた上でホルマリン処理し不活化したワクチンであり、1954年から日本で使用されてきたものです。日本の症例激減に大きく貢献したワクチンであり、歴史的な役割は大きいワクチンです。接種後にADEMを発症した症例があったのをきっかけに、このワクチンとADEMの関連性が指摘されるようになったため、2005年から積極的勧奨が差し控えられました。ADEMは免疫機構が関与する一過性の脳炎ですが、日本脳炎ワクチン接種後に発症した症例では発症年齢が乳幼児期から思春期まで幅広く、季節も明確ではありませんでした。さらに7割でワクチン以外の何らかの感染症の兆候が見られたことが分かっており、どこまでこのワクチンのせいでADEMが起きたのかは実際のところ不明です。さらに、ワクチンを接種していた時期の日本における小児のADEM発症頻度は小児10万人あたりで0.33人であったのですが、積極的にワクチンを接種しなくなってからも0.34人であり、減少しませんでした。予防接種後副反応報告でも接種者におけるADEM発症頻度は380万回に一人であり、他のワクチンの480万回に一人に対して高いわけではありませんでした。つまり、マウス脳由来ワクチンがADEM発症の原因になったそいう科学的根拠は結局なかったことになるわけです・・。

 

(乾燥細胞培養日本脳炎ワクチン)

とはいえ、ネズミの脳細胞でウイルスを増やしてそれを精製して子供たちに接種するのはあまり良い方法とは言えないわけです。ネズミの脳になんらかの感染性因子が混入しているかもしれません。そのリスクを減らすため、乾燥細胞培養日本脳炎ワクチンというより安全性の高いワクチンが発売されました。アフリカミドリザルの腎臓由来のVero細胞を増殖させ、北京株ウイルスを増殖させ、培養液からウイルスを回収しホルマリンで不活化した上でワクチンに生成したものです。重要なのは、サルの腎臓の細胞サルから取り出して使うのではなく、細胞を無菌的にシャーレで培養してその中でウイルスを増やす作業を行っている点です。チメロサールなどの水銀化合物は含まれていないワクチンであり、マウス脳由来ワクチンに比較してわずかな成分であるにもかかわらず、数百倍、数千倍の抗体価が得られることがわかっています。

 

(大人に接種するにはどうするのか?)

子供のころに合計4回ワクチンを接種していることが確認されている場合は、1回スイカ接種すれば十分であるとされています。一方で、これまで接種して事がないのであればきちんと1年かけて3回接種する必要があります。ただし、1年かかっていては出発に間に合わない可能性が高いので、2回接種して出発してもらい、現地または一時帰国の折に3回目接種してもらうのが良いと考えられます。実際のところ、2回接種すれば抗体価自体は100%陽性になるというデータもあります(ただし、2回で終わると、いつまで抗体が維持されるか分からないという問題があります。)。問題は1回は接種しているが、きちんとしたスケジュールで接種を完遂できていない場合です。この場合成人の接種に関する決まった方法はありません。おそらく2回接種しておくのが良いだろうと渡航医学を専門にする医師は考えているようですが、はっきりしたデータはありません。3回打っても害になるわけではないので、3回接種しておくに越したことはないのでしょう。

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